友だち地獄

column_img20161101_01みなさん、こんにちは。

突然ながら、この言葉をご存知でしょうか。

『友だち地獄』

 

それは聞くも語るも恐ろしい、恐山(おそれざん・青森県)にまつわる怪談話。

・・・ではなくて。

聴くも語るも日常的な、私たちの身の回りにまつわる社会現象です。

 

みなさんは、友人や恋人関係、職場での関係、家族関係に悩まれたことはありますか?

誰もが、多かれ少なかれ悩んだことがあるのが人間関係ではないかと思っています。

もし、人間関係に悩まれたことのない方がいらっしゃいましたら、挙手お願いいたします。

その方は、仙人さまでしょうか。

ぜひ、お顔を拝見させていただきたいと思います。

 

友だち地獄とは、「誰からも傷つけられたくないし、傷つけたくもない。そういう繊細な優しさによって起こっている、若い世代に多い生きづらさ」を表した言葉です。

今どきの若者と呼ばれる人たちは、携帯電話を手に日々コミュニケーションしながら生きています。誰かが発信すれば、すぐにポジティブなメッセージを返す。友人との関係から逸脱しないように、いつも神経を張りつめ、場の空気を読んで、自分に求められる行動を予測して行動する。

誰かにいじめられるかも、誰にも振り向いてもらえなくなるかもと怯え、メール等で互いのつながりを確かめ合う。そんな地獄が、生きている間にも待ち受けているとしたら怖いですね。

 

その事件は(?)、私の友人が受験生の子どもの携帯を解約したことから、始まりました。

息子さんは1週間泣き、ご飯を食べなかったり、予備校にも行かず、軽く暴れ、泣きながら抗議を繰り返したそうです。もともと勉強を優先すると約束しての携帯購入でしたので、親も頑張りました。すると、息子さんは1週間後には日常生活に戻り、「携帯が手元になくなって、かえって気持ちが楽になったわ」と言ったそうです。

息子さんは友だち地獄に陥っていたのかもしれませんね。

亡くなった後に行く地獄は、現世で良い行動をすれば回避することができるかもしれませんが、現世にある地獄を回避する方法を見つけることは、困難なのでしょう。

落とし穴は、そこここに。

でも、その地獄は誰が作った地獄なのか。

自身にも問うてみる必要があるかもしれないと感じた事件でした。

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さて、これは余談なのですが。

「友達」と「友だち」

みなさんはどちらの文字を用いられていますか?

 

「ともだち」という語は、「友(友人)」に、複数を表す接尾語「たち」が結びついた語ですが、現在では、単数、複数に関係なく、ひとりでも「ともだち」と用いられています。

つまり、「たち」は接尾語ではなく、「ともだち」という言葉で一語であり、正確に伝えようとするならば「友だち(単数)」と、「友だちたち(複数)」となるのですって。

その小さな変化が、友だちが少なくなっていることに影響されているのかどうかはわかりませんが・・。

 

アドラー心理学では、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と言われています。

また、日本には272の地獄があると言われています。

それらの地獄は、わたしたちの身近で入り口を開いていて。

もしかして、私もその渦中なのかも。

 

私の上司は、このようなアドバイスをくださいました。

『どこで働いても、何かの地獄と思って修行しなさい』

つまり、100点の職場はないということです。

鬼のような上司、子どものような同僚、宇宙人のような部下。

終わらない業務、理解できない指示、放置されたり、持ち上げられたりする社会関係。

探してみると、身の回りには本当にたくさんの地獄が待ち構えているのかもしれません。

悟りを開きたい今日この頃です。

笑っ。

 

10月は神無月でしたが、そろそろ神様もお戻りでしょう。

それでは、みなさんの11月が、こころも身体も、そして人間関係も健やかな月となりますように。

 

                              研究員 前原なおみ