鬼と巡る旅

column_img201610-01みなさん、こんにちは。

天高く、少し気温の落ち着いた今日この頃。

いかがお過ごしでしょうか。

 

私事ですが、先日、吉備路を歩いてきました。

 

吉備へは、大阪から新幹線で約1時間です。

岡山で新幹線を降り、そのまま乗り換えて備前一宮へ。

いや!?

電車を乗り換えようと思ったのですが、なんと電車のドアが閉まっています。

「乗り遅れた!!」とドアの前で意気消沈していたら・・・。

手動でした。

ドアの前で立ち尽くす私に気付いた地元の方が、開ボタンを押してくれました。

やさしさに感謝を。

 

備前一宮駅では、観光っぽい8名が列車を降りました。

小さな駅で、無人改札の外にポツンとレンタルサイクルショップがありました。

交通の便は少なく、観光客の多くは自転車かタクシーで回ります。

 

初秋、自転車の旅は解放感があり快適に進みます。

田んぼの稲はまだ青く、頭を垂れることなく秋の空を仰ぎ見ていました。

 

column_img20161001_02寄り道をしながら、自転車で20分走ると吉備津神社に着きます。

桃太郎のモデルといわれる大吉備津彦命を主祭神とした神社で、360メートルにおよぶ回廊が有名です。

みなさん、ご存知でしたか?

 

ここでは、交流は日常なのでしょう。

挨拶をしてくれる弓道場の高校生。

お弁当を食べている目前で、試合に負けた生徒を叱咤激励している先生。

話しかけてくれる外国観光者。

思い思いに存在をアピールする虫たち。

回廊で写真を撮らせてほしいと、新しいカメラを構えてくださったおじいさん。

案内役を買って出てくださったおじさん。

40分ほどの滞在でしたが、たくさんの出会いがありました。

 

column_img20161001_03それから、お誘いを受けて鬼ノ城(きのじょう)に行ってきました。

車で15分移動し、山道を登り、総社平野、岡山平野、岡山市街が一望できる展望台に辿りつきました。

見晴らしがよく、気分も最高潮。

さらに5分歩くと、復元された鬼ノ城西門に到着します。

鬼ノ城は、朝鮮式に作られた神籠石式山城で、門構えに始まるその異文化感は、ありありと歴史的背景を物語っていました。

 

そういえば、岡山土産にはキビ団子と桃太郎に関するものが有名です。

みなさんは、桃太郎に登場する鬼に「温羅(うら)」という名前ということをご存知でしたか?

鬼に名前がついていることを知って、本当に存在したのかもという気持ちになりました。

 

鬼は実在するのでしょうか。

ふと思い立って考えました。

鬼がいたとしたら、人間は全滅しているか奴隷になっているかな。

訪れた鬼ノ城も、残念ながら鬼退治の城ではなく、唐・新羅の侵攻に備えて作られたお城でした。1300年以上に生活した人たちにとって鬼とは、生活を脅かすものそのものだったのでしょう。

 

それから、こんな伝説とも出会いました。

吉備津彦命との戦いで深手を負った鬼の温羅は、自分の血で染まった川へ鯉となって逃れました。

吉備津彦命は鵜となり、鯉に姿を変えた温羅を食べてしまいました。

それを祭られたのが、『鯉喰神社』です。

ほほう、なるほどなるほど。

人間は鬼を食べたのです、ね。

だから、私たちの中には鬼が住んでいるのですね。

 

そう、吉備路はわが身に潜む「鬼」のルーツを発見し、鬼と巡る旅となりました。

 

こころの鬼とは?

よこしまな考えそのものであったり、こころを超えて煩悩が具現化したものであったりします。

「健全なる身体には健全なる精神が宿る」と言ったのは、古代ローマの弁護士でありながら詩人として知られたユウェナリスです。

それは、たくましい精神をもつために、身体を鍛えなさいという格言ではなく。

「多くの人が神に祈るであろう富や地位は、いずれも身の破滅に繋がるので願うべきではない。もし祈るとすれば、健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」という、過大な願いへの風刺であったと言われています。

 

いまここに。

健全な身体は、願うものではなく、日々創造するもの。

健全な精神は、出会いに感謝して、こころの鬼と調和することかもしれません。

 

秋の風、秋の味覚、秋の音色を感じ、秋の夜長に、あなたは何を思いますか?

それでは、みなさんの今日1日が、こころの鬼と調和して健やかな魂で過ごせますように。

 

研究員 前原なおみ