私事ですが、『哲学カフェ』というものを開いたり、参加したりしています。哲学カフェは、集まりたい人が集まって、日常の何気ない事象をひとつ取り上げ、あーでもない、こうでもないと議論するものです。
名前に「哲学」という言葉がついていますが、誰でも、いつでも参加できます。雑談と違うところは、テーマを決めて意見を出し合うことと、カフェマスター(進行役)を中心に勧めることくらいでしょう。
(詳細がお知りになりたい方は、こちらをご参照ください。→「哲学カフェ」)
先日、とあるカフェで「いつまで子ども?」というテーマで90分間対話しました。
あなたの身近には、大人なのに、大人でない人はいませんか?
または、子どもなのに、子どもっぽくない人は?
大人になりたくない子どもはいませんか?
日本では一般的に、年金、刑法、選挙権など年齢を境に区別されたものが多いため、20歳をもって区別されやすいようです。しかし、最近では選挙権を18歳から、19歳の犯罪の刑罰、成人式での成人と思えない暴挙など、子どもと大人の違いは不明確さを増し、年齢では区別できなくなっているように感じるのです。
対話は、日常の具体例から始めました。
しばらくして、「大人には、大人としての責任と義務があり、自立した生活を送っていること」というキーワードが上がりました。例えば、労働や納税や法律を守ることなどでしょう。また、大人は嫌なことでもしなくちゃいけない。しかし、責任と義務はあるけれど自由もある。例えば、好きな場所に住み、食事前にお菓子を食べ、無駄使いや大人買いをし、一日中だらだら過ごしたりできる。
義務と責任と自立 & 自由。
「自由ばかりでは、何をしていいかわからない」
「こう考えると大人って、そう悪くないかも」
しばらくして、こんな話が。
「お母さんが起してくれなかったので、遅刻しました」と、10時半に出社した27歳男性。
この男性は、大人なのでしょうか、子どもなのでしょうか??
対話の初めは、自立した生活ができていないため、子どもという意見が出ました。
しかし、母親に頼っていることは悪いこと?
身近にあるもの(それが母親でも)を活用するのは当たりまえ。信じられる母親がいる人は母親に、信じられる彼女がいる人は彼女に。誰も信じられる人がいない、または自分を信じている人は目覚まし時計に頼むことは、責任ある行動ではないかしら。
大人と子どもを一概に区別するのは難しいようです。
あなたは、この27歳男性をどう思いますか?
最終的には・・・。
母親を「お母さん」と呼ぶことや、自分以外のせいにしたところが、子どもってことで認定されました。ここはやはり、『私の不注意で起きることができませんでした。申し訳ございません』が大人の対応だそうです。
ふふふふ。
ちなみに、日々の健康管理は大人の義務で責任で。そして方法は自由です。
風邪、インフルエンザ、肺炎などの感染症が流行りやすいこの季節。
今日もあなたが、健やかに過ごせますように。
研究員 前原なおみ