優しさという衣装

みなさん、こんにちは。

突然ですが、ふと「優しくされたいな~」って思うことはありませんか?

あぁ、そうですね。ご心配ありがとうございます。

わたしは疲れているのかもしれません。笑っ。

 

桜舞い散り、新緑薫るこの季節。

それは、とある病院の壁に掲げられた「奇跡は起きる」という標語から始まりました。

それでは、みなさん一緒にお考えください。

例えば、それはみなさんが病気になったとき。

「奇跡は起きる。奇跡を信じて頑張ろう」と言われたいですか。

それとも「奇跡は起きない。現実を見て一緒に進もう」と言われたいですか?

 

そもそも「奇跡」というのは起こることであって、起こすものではないように感じています。

そんな奇跡は優しさに含まれるのでしょうか?

友人とそんな話をしていて、「優しさ診断」なるアプリを発見しました。

 

第1問 バファリンの半分は「優しさ」からできているそうですが、あなたには優しさは何割含まれている?

第2問 恋人が入浴中、恋人のケータイに異性から着信があったら?

という始まりなのですが、みなさんはどのようにお答えになるでしょうか。

「優しさとは何か?」という疑問でスタートしたこの診断、ひねくれ者の私たちは、日常の自分たちの意思とは全く違う答えを回答してみました。

例えば第1問では、わたしには優しさは8~9割含まれている・・・といった回答です。

その結果

晴れて「底なしの優しい人」に認定されました~(^^)/。

 

私たちが日常的に「優しい」と思っていることは、相手に直接手を差し伸べることであったり、相手が困る内容なら知っていても知らない振りをすることであったり、良くないところを指摘することであったり。

相手の気持ちを察知して、相手がしてほしいことを想像して行動する。または、相手の将来を慮って物事を伝えることのように捉えられがちです。

しかし、時には優しさが相手の意欲を奪ったり、相手の自立を阻害したり、相手の将来を・・・。

優しさを突き詰めて考えると、かえって訳がわからなくなってきました。

優しさとおせっかいは紙一重と言われますし。

 

その一方で、「偽善者診断」というものも発見しましたので、TRYしました。

その結果、わたしは「間違いなく偽善者」に認定されました~。

偽善と優しさは、共存する者だと思うのですが。

 

ちなみに。

「奇跡は起きる」と書かれたのは、病気の方のご家族さまだったようです。

祈りに近い、その気持ちは優しさ100%でしょうか。

本当の優しさとは何か?

少なくとも「わかったつもり」が優しさから人を遠ざけるような気がしています。

その人の願いに寄り添い、小さな変化に気づこうと関心をむけることも優しさなのかもしれません。

そのためには健康が第一ですけれど。

 

身体が軽くなり、こころ弾む5月。

みなさんの身の回りに起きている、たくさんの小さな変化に関心をもって、

ご自身にとっても他人にとっても、「優しさ」を身に纏うことができますように。