がまん がまん♪♪

みなさん、こんにちは。

あらっという間に、七夕さまは過ぎました。

みなさんは、短冊にどんな願いを書かれましたでしょうか。

『暑~っ』という言葉しか出てこない毎日。

今の願いは、この夏を少しでも快適に過ごせますように~、という声が聞こえてきそうです。

 

さて、近所の玉端祭りでは、こんなかわいい短冊を見つけました

『がまん がまん♪♪』

近所の子どもさんが書いたであろうそれは、みどりに短冊に黒のペンで書かれていて、とても目を引くものでした。

 

ふと、『最近、我慢していることはなんだろう?』そんな疑問がわいてきました。

みなさんはいかがでしょうか。

 

私のまわりで、我慢が多かったのは『食べもの』。

夏だ! ビールだ!! 焼肉だ~!!! と景気よく行きたいところですが、夏はボディラインも気になる季節。

年中我慢している方もおられるようですが、健康や美容のためのその努力には頭が下がります。少しの成果が出ますように。

それから、『お買い物』とか『上司との関係』とか『家族内での立場』とか、「だらだらすること~」なんていう意見も聞かれました。

我慢しているものは1つだけ~、とはいかないようです。

 

そもそも「我慢」とは、なんなのでしょう。

我慢とニュアンスの似ている「辛抱」という言葉とその違いを考えてみました。

我慢の『慢』とは、仏教では煩悩のひとつで、他人と比較して思い上がることを示すこと。

煩悩とは、必要以上に何かを求めることや、怒りや愚痴など本質や真理に対する無知という意味があります。人間には108個も煩悩があるというのに。

つまり、「我慢」とは、精神的や肉体的な欲求が満たされない、苦しい気持ちを発散させないで抑えていること。

 

一方、「辛抱」とは、読んで字のごとく辛さを抱えること。さまざまな苦しさに流されないで、辛さを抱えることで向上を目指すことという説が多いです。

つまり、我慢の先には不満があり、辛抱の先には希望がある。

としたら、我慢は身体に良くないのでしょうか。

私たちは、心理状態でこんなに感じかたが変わり、その結果も変わるのかも(^^)

 

そういえば、以前大好きだった本に「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子さんの作品がありました。

仕事がとてもつらかった時期に、先輩に勧められて読み、とてもポジティブになったことがあります。

ところが、最近はその言葉に疑問を持つようになりました。

「置かれた場所が、今のあなたの居場所なのです。咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。」

私を元気にしてくれたその言葉は、いまはもう響いてはいません。

 

私たちが、いまここにいるのは置かれたからでしょうか?

いえ、知らず知らずのうちにでも、自分で選んできたのではないかと。

その仕事に就くのも、その会社にいるのも、朝起きて電車に乗ることも。

そのすべてを自分で選択してきたような気がします。

まっ、つまり。

今ある我慢は、我慢ではなく、忍耐にしたいなっと。

綺麗でなくても、いつか自分の納得のいく花が咲くように。

もしも今、我慢しているのだと感じているとすると、それは目標に向かっている実感がないからでしょうか。

さて、気になった緑の短冊の坊や。

「がまん がまん♪」の正体は、「だっこ」だそうでした。

抱っこしてほしい時に、「抱っこ」というのではなく、「がまん がまん♪♪」と笑顔でいうと、かえってみんなが抱っこしてくれそうです。

可愛い知恵者ですね。

 

みなさんのその努力は我慢ですか? それとも辛抱ですか?

人生は、次から次へと選択する場面がやってきます。

その次に待っているものが、「希望」でありますように。

 

それでは、みなさん。

辛抱強い夏をお過ごしくださいませ。