いろはにて想う

みなさん、こんにちは。

休みの多かった5月前半。

ゆっくり過ごされた方も、楽しく過ごされた方も、そろそろ日常性は取り戻されましたでしょうか。

 

column_img201605_02私事ですが、高野山に行ってまいりました。

今年はロープウェイを使わずに、極楽橋駅から〈旧不動坂ルート〉と言われている舗装されていない道を13キロほど登りました。

快晴。しかし、山の道から吹く風は涼やかで、少し肌寒く感じました。

 

野草の匂いを嗅いだり、野鳥の声を聞いたりしながら、30分程度でしょうか。

「いろは坂」にたどり着きました。

いろは坂とは、別名「四十八曲がり坂」とも呼ばれる、つづら折れの急な坂道です。

登っては曲がり、登っては曲がり、やっぱり登って登ります。

 

昔。ロープウェイがなかったころは、重たい荷物を背負いこの道を登られたと思うと感慨深いものがありました。

まさに修行僧の面持ちです(きっと山に不慣れな私だけですが)。

 

さて、みなさま。

いろは歌を暗唱することはできますか?

はい。できます(^^)。

 

いろはにほへと ちりぬるを

わかよたれそ  つねならむ

うゐのおくやま けふこえて

あさきゆめみし ゑひもせすん(作者不明)

 

では、意味はご存知ですか?

漢字で書くとこうなっていました。

色は匂へど 散りぬるを 

我が世誰そ 常ならむ

有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず ん。

 

その意味は、

 香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。

この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。

この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて

悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることなく、

現象の仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である。

 

諸行無常(しょぎょうむじょう)

是生滅法(ぜしょうめっぽう)

生滅滅己(しょうめつめつい)

寂滅為楽(じゃくめついらく)

これいかに。

 

作者は不明ですが、大乗仏教の悟りを表した歌と言われているようです。

大乗仏教では、夢や愛はよくないものとされていて、それは絶望と憎しみと同じ。

煩悩に過ぎない。

すべての現象(色)は、実体のない幻想(空)なのです。つまり、色即是空。

自分も、世界も、すべてのものは存在せず、

存在するように見えているのは、現象と現象の関係からなる差異が作り出した錯覚です。

 

column_img201605_01愛と憎しみ。幸福と不幸。夢と絶望。

初めからすべての対立には実体がないことを悟り、その対立を超越したとき、

人は慈悲でこころを満たすことが可能となり、こころと世界は極楽と化する。

 

・・・とするならば。

こころが楽になるためには、煩悩を捨て去ることでしょうか。

 

5月のいろは坂にて

土や落葉の朽ちるにおい。

飛行機雲の渡る、青い空。

樹々の中をすり抜けて走る、澄んだ風。

そこかしこに響き渡る、小鳥たちの愛唄。

それらを感じながら、その生き方に疑問を持ちました。

 

煩悩も、変化と成長の糧となりますように。

 

でも、霊験あらたかな高野の地を踏みしめ、歴史と煩悩を見つめることができました。

こころを満たした後は、身体を満たすことにも気を配りたいものです。

 

それでは、みなさんの今日一日が、悟りに満ちた一日となりますように。

                                  研究員 前原なおみ